媽祖は中国沿海部の各省住民において、主要的な信仰の一つである。台湾では王爺廟とともに媽祖信仰は二つのメイン民衆信仰とされます。媽祖は実際に存在している人物だったのか、どうかのことに対しての議論は宋の時代から今の時代まで二つの主張があります。一つは媽祖は宋の時代の福建省興化府莆田県の湄洲島というところの林氏の娘と言われます。死後、民間に崇拜されて神様となった訳です。
この主張は、大抵の民衆に受けられます。もう一つの主張は媽祖は実在の人物ではないです。主張者より天妃、天后といえば、水神様の本称号です。元代末の劉基氏の「台州路重建天妃廟碑」に載せてあった記事では、:太極は万物の根源であり、「天」は万物の最高者となり、神様として「帝」と言います。「天」の次は「地」であり、神様として「后」と言います。つきの最大神様は海であり、水は陰陽の陰の種類であるために、海の神様は后の後ろになり、「妃」といいます。そして、「天」という字を加えることは、「妃」の神様としての格付けをさらに尊敬されるように高めた訳です
また、柳貫氏の『敕賜天妃廟新祭器記』に載せてあった記事では、こんな記述が見えます:「天妃は海神の最高者となり、海界の官職や役目に任命されます。」 清代の趙翼氏が編集したものの『陔餘叢考』第35巻の中で、天妃条の一節の中にも:「私の推測した内容は次のように人間の苦難に応える神様の神通力を取って効き目のあり、自分の能力にするのは林氏(媽祖)と言う女性ができないことです。「水」は陰陽の陰の種類で、その象徴されたものは女です。「地」は「天」の下で、「后」と言います。水陰の後ろに「妃」と言います。だから、「天妃」は海と水の神様の本来の称号です。林氏(媽祖)という伝説に拘る必要はありません」と記載されています。
劉基氏などの方が上記の意見を主張したのは、媽祖様が昇天した後に神通力があることを広く噂されるばかりで、媽祖様の生前の記事はちょっとだけ記述されただけに止まりになったのだが、偶には、そういうことが言及されたとしても、詳しく書かなくて微妙な内容だけが書かれていました。
現存されている宋代、元代の媽祖に関する歴史文献に記載したものによると、一番最初に編集されたものは黄公度氏の「題順濟廟詩」で、内容としては一番詳細に記載されたのは「咸淳臨安志所錄」の「丁伯桂順濟聖妃廟記」という文献です。